第1話〜
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【2004年05月17日発行】
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  コラム「スケート探訪」  Vol.1 白幡圭史さん 第1話「真下に押す」

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2004年5月16日、白幡圭史は地元釧路の後輩たちが集まる柳町スケート場に颯爽??
と現れた。現役を終え丸2年。4月に愛娘が生まれた彼に、かつて氷上で見せた殺気は
ない。釧路プリンスホテルの営業マンとして日々靴底を減らしての外回りと聞いてい
たが、新婚の幸せが上回っているとみえ腰周りに貫禄がついている。現役時代の面影
といえば、過酷なトレーニングで後退した額とロッキーチャックばりにぷっくりとふ
くらんだ両頬くらいのものだ。 釧路市立緑陵中2年で全国中学3000mを制し、高校1年から世界ジュニアに3年連続出場
した白幡だが、世界への壁は厚く専修大学、コクドの先輩・佐藤和弘が10000mで5位
と活躍したアルベールビルも10000mに駒を進められる力はなかった。しかし白幡の卓
越した練習量と高校生を感じさせない大胆な振る舞いは、2年後のリレハンメル出場
を約束するものであった。当時25歳といえば引退・凋落が当然と思われていたスケー
ト界。次期五輪は佐藤、青柳を超え日本の第一代表としての活躍さえ期待された。
ところが迎えたリレハンメル予選。伊香保での全日本選手権は各種目に波乱が相次ぎ
、決定打を欠いた優勝者小竹直樹、次代のエースと目されていた白幡圭史、種目優勝
の佐藤睦浩、同じく野明弘幸は代表の座を射止めなかった。総合順位は小竹・白幡・
野明。新旧の勢力が拮抗し、実績と波乱の判断は白幡にとって厳しい決定となった。
この年、五輪後にスウェーデンで行われた世界選手権。全日本の上位3名が代表とし
て出場、白幡が4位、野明が6位と五輪直後とはいえ日本選手としてはかつてない上位
入賞を果たしたのだ。この4位入賞を皮切りに白幡は化身した。オールラウンドの世
界で日本に白幡ありと恐れられたのは、翌1994-5年シーズンからだろう。
白幡のスケーティングでもっとも特筆すべきは、氷との軋轢が非常に少ないことだ。
まだスラップスケートの登場する前のことだが、外国人選手にとってその190cm超の
体を振り回しながら氷を蹴散らし滑る後ろをひたひたと滑る白幡の影は何より彼らの
恐怖だった。佐藤和弘譲りでレースの後半からラップを上げてくるレース展開も手伝
って、静かなる白幡のブレードは無言の圧力となって同走した列強をみごとに料理し
た。もう一つの特徴はスラップスケートの登場でみごと大輪の花となる。彼自身、今
回の講習でも再三触れていたが、脚に乳酸を溜めないことを目指したスケーティング
にある。その手法については白幡に限らず、スケート選手ならば誰しもが一度は考え
悩んだことがあるだろう。ただ白幡の場合、 「自分はスケートにすごく興味がありましたからねぇ。」(白幡談@プライム) というだけあって、その追求の域は常人をはるかに凌ぐものと推察される。その手法
とはいったい如何なるものなのか。白幡の話の要点を私なりに整理すると、次のポイ
ントに着目すべきと思われる。 講習の席で1993-4年シーズンのレースについて白幡は強く語った。雪の降る悪条件の
レース。体も動かなくなってどうにも進まなくなってしまった白幡。レース中、いつ
ものように「踵をグリッと」横方向に押し出しながら蹴っていたが一向にペースは上
がらない。意識も朦朧とし始める中、プッシュオフの方向と自分の加速感覚に違和感
を覚えた白幡は自分の体とスピードに耳を澄ませた。 「真下に押したらいいんじゃないか」 この閃きと同時に、白幡は滑り方を思い切って切り替えた。レース中に進化したのだ。 そのままでは埒が明かないと半ば破れかぶれの若さもあったようだが、ここに白幡圭
史が強くなれた訳がある。余談だが、MSPの講習冒頭で必ず喚起することがある。そ
れは”どうやったら一番スピードが出るのか(ルール内で)に神経を研ぎ澄まそう”
”今自分自身がどこに進もうとしていてどんな加速状態にあるのか意識しよう。この
2点だ。白幡のすごさは、まさにその意識をレースの真っ最中に持ち続け、さらに自
己の新しい感覚を瞬時にして今まで持ち続けたテクニックに代え優先させたことにあ
る。しかも、「真下に押す」という当時としては非常に新鮮とも言える感覚を見出し
たことは、その後の白幡の実績を裏付けるにたる閃きといえよう。 さて、本題に戻るが、MSPとしては「真下に押す」ということに秘められた彼のテク
ニックをより深く探るべきだろう。まず、このイメージが湧き出た時の白幡の状況を
浚ってみよう。 @当日は雪が激しく降っおり滑走条件は最悪だった。
Aペースをあげるべくいつも通りに頑張ったがラップは上がってこなかった。
B真下に押すことを閃き、実践してみるとテンポがよくなりラップが上昇した。
@の条件の下、白幡は通常の滑走時にも増して効率のよい動きをしなくてはフィジカ
ル的に持たない状況に追い込まれており、効率の悪いスケーティングから脱皮するチ
ャンスにあったといえる。 MSPでいう効率のよい動きとはいかなるものか。自然界の原則に逆らわない動き、す
なわち物理的に整合性を持ち体の負担にならない動きだ。そもそも人間本来の動きに
は人間の思考では計り知れない合理性があり、そこを崩して得られる動作に由来する
小手先のテクニックでは大きな成長は望めない。あらゆるテクニックの獲得にはつね
に物理現象の原則に立ち返り、技術を見直すことが不可欠だ。 長くスケート界において重要視され、今なお重要な技術として連呼されているものの
一つに、「横に押せ」「横、横、真横」といった表現がある。この表現、ある意味で
は非常に大切な言葉だが受け手のスケーターの解釈、適用法によってはとんでもない
方向に一人歩きする。小山裕史氏の提唱する初動負荷の動きは人間のさまざまな動作
においてきわめて重要な原則として認識すべきだ。 Aの状態のとき、白幡のプッシュオフはどのようになっていただろうか。従来のスケ ートの場合、踵をあげて蹴るとブレード先端部が氷に突き刺さり大きな抵抗を生んで しまうのでテクニックの一つとして踵を進行方向真横に近い方向に押し出す動作が奨 励された。この動作により確かにブレード先端で起こる氷の破壊による抵抗は大きく 低減されている。しかし、踵を最後まで氷にへばりつけながら横に押し出すという作 業によって、プッシュオフの後半に力のアクセントが来てしまう傾向にあった。この 状態はとりもなおさず終動負荷の状態で、踵が下がったままで膝関節角度が伸びきっ た筋肉にとってもっとも無駄な負荷の大きいキツイ体勢でプッシュオフを終了するこ とになる。この体勢でプッシュオフを行うことはある意味スケート選手の宿命とも思 われていたのだが、私自身、初動負荷原則によるトレーニングとの不整合性に疑問を 感じていたし、実際1000mで成績を上げるようになってからはスケートでも終動負荷 部分を極力なくす方向にシフトし始めていた。 Bにあるように「真下に押す」という表現を白幡は使っている。この動作について考 えてみよう。スケートの姿勢をとってブレードを真下に押すとなれば、蹴りだしのア クセントは必ず最初に来る。もっとも膝関節が深い角度になった状態、すなわち最も 大きなトルクの出せる体勢で加速することになる。白幡の表現は実に単純だが、効率 のよい蹴りだしをみごとに表現している。これはとりもなおさず初動負荷の状態で蹴 り出すことになる上、横方向に長く押すというマイナス要素を内包する動作を誘発す るようなイメージが言葉自体にない。したがって、筋肉を無駄に長時間収縮させなく てすむ。これこそがスケーティングにおいてハイパフォーマンスを持続させる極意な のだ。 真下に押すということが、ただ単に効率のよい加圧方向のみを意味するのではなく、 真下に押すタイミングによって筋収縮・弛緩の切り替えにも大きく影響が及んでいる ことに是非着目していただきたい。 >>第2話へつづく ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼登録内容の変更・確認について  住所やメールアドレスなど、メンバー登録の内容変更や確認、メ  ール配信の中止をしたい場合は、下記メールよりお願いします。 info@eskate.jp ▼退会について  「CLUB MSP」からの退会をご希望の場合は、以下のページ  よりお願いします。 info@esakte.jp ▼CLUB MSPに関するお問い合わせは、以下のアドレスまで  お願いします。  info@esakte.jp ** CLUB MSP ********************************************   【ご意見・ご質問】 info@esakte.jp Miyabe Skate Promotions copyright(C), 2004-2006 ********************************************************
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