鶏のささ身は万能か



スポーツ選手の栄養にかかわる本には、なぜか鶏のささ身が登場する。たしかに、脂肪分が少なく高タンパクなので、体脂肪を極力抑えて筋量をアップさせたい人には良さそうだ。

だが、それは『あくまで』ある切り口からアプローチした場合の話なのではないか。

ドイツの遠征中、日本選手向けに宿のオーナー(といっても田舎のオヤジとオ○ハンだ)が、気を遣って豚カツを出してくれる。

WIENER SCHNITZELだ。

あの地域では、たいがいのレストランにはあって、かなりメジャーなメニューの一つに数えられる。しかし、当時よく合宿をしていたインツェルという村は、良くも悪くも『超』村なのだ。オーストリア国境の中に入組んだ村は、地図で探すのも厄介なほどに小さい。宿の駐車場からみえる小高い丘の向こうの空が、夜になるとやんわりと明るい。ザルツブルクの街明かりが、歩いていけそうなくらいのところを照らすからだ。しかし、道という道はなく、国境を越えていくとなると車で4、50分はゆうにかかかる。

そんな村だから、もちろん、鹿がいる。今となっては、苫小牧に落ち着いて鹿くらいではビビらないが、当時は、衝撃的な光景ばかりが眼についた。宿をでてリンクへ行く途中、村内唯一の幹線道路に出るあたりでみちは左に大きくカーブする。道路を行き交う車は、どれも日本では高級車と呼ばれる車ばかり。

さすがドイツ。

G7繋がりだ、なんて思ったのも束の間。私は、いとも簡単にインツェルの洗礼を受ける。

おおきくまがった道の左手の軒先に、

『今とってきました』

と云わんばかりの大きな鹿が吊下がっていたのだ。傍をとおるとき感じた生温かさは、鹿が、まぎれもなくこの山の恵みであることを主張していた。

そんな光景を見ながらの食卓には、つねに緊張が走った。どの食事にも、例外なく給仕される『o{{>.o}}o スッペーサラダ』。食べつけると何故か美味く感じてしまうのだが、慣れるまでは、酸っぱさばかりが気になって仕方がない。何を食べても、わりと、というよりは、ほとんど頓着ない私がそう思うくらいの酢が入っている。この村には、あと付けのシーズニングなどという気の利いたものはなかった。 サラダを終えると(ほとんど手付かずの皿もあるが)、次の皿まで暫しの談笑がある。この村に同化したコーチ連中を中心に、どうでもいい話が日の丸の掲げられた食卓を飛び交う。このときばかりは、さすがに和む。バスケットの中に無造作にならんだ『セメル』をほお張りながら、緊張を忘れる。『チーン!(-o- )ノ』奥のキッチンから、聞いてはいけない音がすることもあるが、そこはご愛嬌。

そうこうしているうちに、いよいよメインの皿になる。

そこのウェイトレスが、街の人だったかは記憶にない。しかし、インツェルというのは、このあたりでは割りに知られた保養地としての顔ももっている。ペンションの給仕には、ベルリンあたりの街からでもアルバイトのなり手があるという。小ぢんまりとした宿に似つかわしくない、大振りな彼女が運ぶ料理を、テーブルの視線から確かめることは難しい。決まって添えられるポテトの背後に、なにが横たえられているのか。期待と不安が重なり合う瞬間だ。

「guten appetit(^。^)」

笑顔がロハなのは万国共通だ。不安を胸のおくにじっと閉じ込めながら、精一杯、微笑んでみる。それが早いか、次の瞬間、視線を皿の手前側に落とす。

こげ茶色と表現するだけでは、この瞬間は伝えられない。横たえられた肉には、見覚えのない「艶」がある。日本やアメリカで嗅ぐような、芳ばしい香りもない。素材の味を活かしたといえば、それまでだが、どうにも物足りない。しっかりとした風味がないだけに、どこからともなく「guillotine鹿」のイメージが肩をたたく。だからこそ、写真のシュニッツェルは、ご馳走だった。

しかし哀しいかな、当時、私は大の『除脂肪体重』マニア。当然、この旨みをため込んだコロモは、皿のはしっこに葬られる。体重90Kの今となっては笑ってしまう話だが、真剣だった。だが、インツェルをこよなく愛し、「俺は前世にドイツにいた」とまでの給ったK氏からすれば奇妙な行為だったに違いない。

そこで、あの衝撃的発言があったのだ。

「おれは旨いモンが食いたい」。

「鮨だったらトロが食いてぇし」、

「豚カツっちゃ〜ぁコロモがあるから旨いんだ」。


本格的に目が覚めるまでには随分かかったが、この食卓が転機だったに違いない。
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